村上春樹の講演全文を読む ― 2009/02/28 04:48
確か授賞式は先週か先々週だったか、村上春樹のエルサレム賞講演全文を読みたくて探していたけれど、やっと見つけたので読んだ。
Googleでは、このブログからのリンクから見つけられた。
http://www.satonao.com/archives/2009/02/post_2517.html
全文を読んだ感想として、やっぱり村上春樹らしいなあというのが率直な感想。僕は別に村上の大ファンではなく、著作を網羅して読んでいる訳ではないが、講演でのメッセージと、彼の著作におけるイメージ、セリフがつながって浮かんできた。
ほとんどの新聞が要約しか掲載しなかったけれど、所詮、要約は要約以上のものではありえず、ひどい場合には誤解を招きかねないものだと思う。たぶん、全文を読むと要約とは異なるイメージを抱く人がかなりいるのではないだろうか。本人は講演の中で、「今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。」と言っているが、本当にそれだけ切り出してしまうと、意味がわからないので、要約した者が想像で別のセンテンスを切り貼りするしかないのだろが、かなり無理があると思う。そういう意味で、村上はやはり、プロの小説家と言うべきなのかもしれないなあ。
ところで、英文和訳での一人称(I)は、「私」、とされているが、これはやっぱり、村上春樹なんだから、「僕」と訳す方がベターなのでは、と思ったのだけれど、どうなんだろう?
Googleでは、このブログからのリンクから見つけられた。
http://www.satonao.com/archives/2009/02/post_2517.html
全文を読んだ感想として、やっぱり村上春樹らしいなあというのが率直な感想。僕は別に村上の大ファンではなく、著作を網羅して読んでいる訳ではないが、講演でのメッセージと、彼の著作におけるイメージ、セリフがつながって浮かんできた。
ほとんどの新聞が要約しか掲載しなかったけれど、所詮、要約は要約以上のものではありえず、ひどい場合には誤解を招きかねないものだと思う。たぶん、全文を読むと要約とは異なるイメージを抱く人がかなりいるのではないだろうか。本人は講演の中で、「今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。」と言っているが、本当にそれだけ切り出してしまうと、意味がわからないので、要約した者が想像で別のセンテンスを切り貼りするしかないのだろが、かなり無理があると思う。そういう意味で、村上はやはり、プロの小説家と言うべきなのかもしれないなあ。
ところで、英文和訳での一人称(I)は、「私」、とされているが、これはやっぱり、村上春樹なんだから、「僕」と訳す方がベターなのでは、と思ったのだけれど、どうなんだろう?