善き通へ2009/02/22 18:57

最近、道を見失っているような気がしている。

ふと思いついたことだけれど、

何のために、

どのように、


後者の手段については、現在の状況での最善を尽くしているつもりだけれど、前者の目的について自分の中での認識と位置づけが揺らいでいるようだ。

原因は、目の前が見えすぎるからなのかもしれないが、かといって、前を見ないで前に進むわけにもいかない。

でも、こんなにも苦しいと、未来などわからなくてもいいから、楽しんで生きていくことにしたいという欲求もある。

その狭間に囚われているからこそ、苦しいのかもしれないが。

今は、目的意識の揺らぎはともかく、今あることを片付けることにしようと思う。

そして、次には、悩む必要の無い、揺らぐことのない、善い目的を見つけたいものだ。まあ、それを探すのがまた悩みにならないようにすべきだけれど。

まずは、自分自身を善き通へ導くことから。

安全に生きるための方法2009/01/20 16:54

決して楽しく、充実した人生を送れる方法ではないが、安全に手堅く生きるための方法として、

ベースラインとして心にとどめておくと良さそうなこと。


・合理主義と打算に基づく範囲でのみ相手を信用する。信頼はしないし、ましてや期待などはしない。

※(逆に考えると、自分のすべてを犠牲にしてでも、相手の期待に応えようとする時、その相手はカリスマ、と言えるのだろう。恋愛はその形態の一種。)

やること、についての分類2009/01/17 15:53

昔、bartさんに教えてもらって以来、心に残っていて時々思い出す分類方法について。


個人(あるいは会社)がやることについて、大きくは3つに分けることができる。

・やりたいこと

・やるべきこと

・得意なこと
 (ネガティブな意味では、できること、とも読み替えられる)

bartさんのそのときの話の本旨は、最小努力で最大の効果を出す(つまり最大効率を目指す)のであれば、この3つの区分すべてに当てはまることをするべきであるということ。それは、言い換えるならば、「goodならばやらない、bestなことをやるという判断基準を持つ」ということでもある。


やりたいことが明確で、やるべきことを選択できる状況で、自分の気力、体力が最大で得意なことがある(できる)のであれば、この話はそのとおり、最大効率を目指すことができるだろう。

実際問題として、こうならないケースが多いわけだけれども、それはなぜか以下で考えてみる。

大抵は、そういう状況を指して、逆境というのではないだろうか。つまり、

・やりたいことが明確でない(希望を見失いつつある)

・やるべきことがあまりに多く、それ自体の優先度がコントロール不能である

・得意なことが無い、もしくは出来ない事情がある

というもの。

逆に考えると、この3つの状況をどうにか、上の理想形に転換してゆく(近づけてゆくとも言える?)ことが、逆境を克服するプロセスなのかもしれない。

漠然と考えると、どうにもならない状況であったとしても、分割して考えてゆけば部分的にはどうにかすることはできるのではないか。

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